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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
("Killers of the Flower Moon")
作品概要
『タクシードライバー』『ディパーテッド』他、数々の名作を生み出し続けてきた、ハリウッドの大巨匠ことマーティン・スコセッシ。
既に齢80を超えているものの、彼の映画熱は未だ冷めぬことを知らない………そんなスコセッシから、この秋に最新作が登場。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』………20年代初頭、実際にオクラホマ州オセージ郡にて発生した連続殺人事件がベースとなるサスペンス西部劇だ。
原作はデヴィッド・グランによる小説『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生("Killers of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI”)』。
この映画、何と言ってもキャストが超がつくほど豪華。なんせあのレオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロが共演しているのである。
両者とも、スコセッシ映画を長らく支えてきた名優コンビ。二人が向かい合って座っているだけで、絵面のインパクトは絶大だ。
その他、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』のリリー・グラッドストーン、『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーらが出演。
上映時間が約3時間半と、近年稀に見るレベルの長尺となっているが、観客からの評価は概ね良好。さすがはスコセッシと言ったところだ。
長らくアメリカの歴史の闇に葬られてきた、この忌々しい事件………その真相が今、スコセッシの手によって暴かれる。
その真実を見届けるのであれば、瞬きすることすらも許されない………世界よ、刮目せよ。
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あらすじ
1920年代、アメリカの先住民族「オセージ族」は白人たちによって迫害され、オクラホマ州のとある居留地に押し込められた。
文化も言語も、一族の誇りたる全てを捨て去ることを余儀なくされ、絶望の淵に立たされていたオセージ族。
しかしそんな中、誰もが予想し得なかった「奇跡」が引き起こる………なんと居留地から石油が湧いてきたのだ。
石油はオセージ族に未だかつてないほどの富をもたらし、かくしてオセージ族は「世界一裕福な民族」となった。
だが、光あるところには影もまた存在する。オセージ族の莫大な富を狙い、オセージ族の富豪が殺害される事件が発生した。
「インディアン連続怪死事件」と銘打たれたこの凄惨な事件。調査の結果、犯人はオセージ郡に住み着く白人だということが発覚した。
巨額の資産を持つモリーとその姉妹たち。そんなモリーの旦那であるアーネスト。「オセージ・ヒルズの王」と称されるウィリアム。そして殺人事件を嗅ぎ付けた、連邦捜査官のトム。
金と欲望、そして陰謀が渦巻くオセージに巣食う「悪魔」とは果たして誰なのか。アメリカ史上、最も黒い事件のベールが今、剥がされる。
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見所解説①至高のスコセッシ節のもと語られる、アメリカの最暗部。
先述したように、この一連の殺人事件はある意味アメリカ史上最も闇の深い事件だと言える。
その最たる証拠が、この事件が長らく隠蔽され続けていたということ。ようやく事件の詳細が開示されたのが、わずか5年前の出来事なのである。
今作の原作となった小説の刊行に伴って解明された。著者であるデヴィッド・グランの徹底した調査力には頭が上がらない………。
仮にもFBI誕生の発端となった事件なのだから大いに取り上げられるべきなのだろうが、今の今まで歴史の闇に葬られていた理由とは何なのか。
詮索すればするほど、この事件の闇深さが浮き彫りになっていく。嗚呼恐ろしい。
そんな凄惨な事件が映画化となると、その意味合いは到底「エンタメ」と一括りにできるものではないのは言うまでもない。
徹頭徹尾リアリティに準じ、そこに監督の作家性も加えなければならない………その結果選ばれたのが、あのマーティン・スコセッシだった。
デ・ニーロとのタッグ作『タクシードライバー』に始まり、ディカプリオとのタッグ作『ディパーテッド』ではアカデミー受賞を果たした、まさに「巨匠」。
どの映画監督………スピルバーグにもイーストウッドにもキャメロンにも「作家性」、通称「〇〇節」なるものが存在する。
例に漏れず、スコセッシにも所謂「スコセッシ節」なるものが存在し、それこそが彼の作品を彼の作品たらしめる第一の要因なのである。
当然ながら今作にも「スコセッシ節」は顕著に現れており、彼の作風を3時間半たっぷりと味わうことができる。
そんなスコセッシ節の中でも特筆すべきなのがエンディング。恐ろしいことに、彼はその映画に相応し「すぎる」ラストを飾ってくれるのだ。
『タクシードライバー』では悲しげなジャズを背景に物憂げに夜の街をタクシーで駆ける主人公の姿を、『シャッターアイランド』では主人公の顛末をただ一つの風景画で表現してみせた。
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今作では、序盤にて剥奪されたオセージ族の「文化」がエンディングとして登用された。
例え白人が文化を奪おうと画策しようとも、一族が一族たる所以はいつまでも失われることはない………そんなメッセージを「歌と踊り」で表現していた。
まるで、そこに言葉なんてものは必要ないと言わんばかりに。映像だけで「魅せる」、これ即ちスコセッシの手腕である。
踊る人々を真上から映すその光景はまるで「花」のよう。「花殺しの月」のニュアンスも重なり、まるでオセージ族を祝福または鼓舞しているかのようだ。
見所解説②最早一種のホラー映画。炸裂しまくりな名優たちの怪演。
ロバート・デ・ニーロに、レオナルド・ディカプリオ。両者ともハリウッドを代表する超ベテラン俳優だ。
長らくマーティン・スコセッシの作品を支えてきた二人が、今作にて『オーディション』ぶりの共演を果たすこととなった。
早速ネタバレしてしまうと、今作における事件の黒幕とはこの2人である。デ・ニーロ演じるウィリアム・ヘイル、ディカプリオ演じるアーネスト・バークハート。
だがしかし、この2人は「単なる悪役」ではない。心の奥底に潜む悪の心を、小綺麗な上っ面で隠してみせているのだ。
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その特徴が大きく現れているのがウィリアム・ヘイルだ。表では「オセージ・ヒルズの王」としてオセージ族から慕われているが、その裏には果てしない野心が広がっている。
『アンタッチャブル』『ケープ・フィアー』を彷彿とさせる、まさに「闇のデ・ニーロ」。例えどれだけ歳を取ろうとも、その威圧感は決して薄れない。
やってることはクズそのものなのに、表情や言動からは全くその素振りが見つからない。これを「怪演」と呼ばずして何と呼ぼうか。
そもそも、アーネストやブライアンら家族に、自分を「キング」と呼ばせている時点でやべー奴確定なのである。
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その一方で、ディカプリオ演じるアーネストの悪役像とは少々複雑だ。
ウィリアムを「王」とするならば、アーネストはさしずめ「兵士」。キングの命令に愚直に従う、ただの下っ端なのだ。
叔父であるウィリアムに上手く言いくるめられ、気づけば人生お先真っ暗。目の前のことしか見えておらず、物事の本質を見抜けない小心者だ。
そんな役をあのディカプリオが………?と思うかもしれないが、スコセッシ映画においてこういった役は非常に大きな意味を持つ。
だが、この2人の悪役には共通して「オセージを想う心」もまた存在すると考えられる。
それが本心なのかどうかはわからない(というかおおよそ嘘)が、心のどこかでは「王」として、或いは「伴侶」として彼らを思いやる心があるはずだ。
その点、アーネストは劇中一貫して「ウィリアム」を取るか「オセージ(厳密には妻のモリー)」を取るかで大いに迷っている。
ウィリアムの言うことを聞かなければ、他のオセージ族と同様に殺されてしまうかもしれない。だがモリーとの結婚は自分の意思で決めたことであり、子供も含めて自身の大事な存在だ。
悩んで悩んで悩み尽くした結果、彼はラストにて叔父を裏切るという選択肢を取った。愚か者である彼は、最後の最後にして自分の本心に忠実に従ったのだ。
しかしながら、愚か者はどこまでいっても愚か者のまま。モリーへ徐々に毒を盛っていたという事実に目を背け続けたあまり、その決断はすぐに意味を成さなくなってしまう。
ラストシーンにてモリーが立ち去り、唖然とした表情を浮かべるアーネスト。最初から最後まで、彼は愚かな小心者だったのである。
最初から最後まで、彼はただの「ショミカシ(金をくすねようとする小賢しい人間)」に成り下がったのだった。
『タイタニック』での爽やかなイケメン役から一転、スコセッシ作品や『レヴェナント:蘇えりし者』などにてハードボイルドな役を演じてきたディカプリオ。
今作にて彼の演じる役は「ハードボイルド」などととは程遠い存在ではあるが、その片鱗は随所にて見受けられる。
ましてや「小物なディカプリオ」など前代未聞の組み合わせだ。だがそれでも彼の「らしさ」を自然に感じることができるのは、やはり彼の怪演っぷりが功を奏した結果だと言えるだろう。
常にのらりくらりとしていて、しかし時々深刻そうな表情を浮かべ、果てには絶望に打ちひしがれたような表情を見せる、彼の渾身の「顔芸」にも注目すべし。
企画当初はトム・ホワイトをディカプリオが演じる予定だったのは有名な話。そっちはそっちで、いつものクールなディカプリオを拝めることができたかも?
個人的な感想
先に言っておくと、私はスコセッシをあまりよく知らない人間だ。
観たことがあるのは『タクシードライバー』と今作の鑑賞直前に観た『シャッターアイランド』のみであり、声高々に語った「スコセッシ節」とやらも正直理解しきれていない部分が多い。
だがそれでも尚、私はかなりこの作品にのめり込むことができた。生まれて初めてスコセッシの作品を映画館にて鑑賞した訳だが、まさしく「至極の映画体験」だったと言える。
というのも、私はこの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の世界を計3回も体験しているのだ。
1回目はTOHOシネマズ 六本木ヒルズにて行われた試写会にて。2回目は原作となった小説にて。そして3回目は劇場公開された後IMAXにて。
かの凄惨な事件を如何にして映像に落とし込んだのか、原作との相違点とは何か、そこにどうスコセッシの作家性をねじ込んだのか………などなど、色んなことを考えさせられる映画だった。
ここまで3時間半があっという間に感じた映画は初めて。その分体力は持っていかれるけれど。笑
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個人的に良くも悪くも気になったのは、(観客に向けた)犯人発覚の瞬間が意外とあっさりしていたということ。
「オセージ族を殺したのは一体誰なんだ」と考える暇もなく、サラッとウィリアムやアーネストが殺しを画策し始めていて、流石に驚愕した。
ちなみに原作では連邦捜査官のトム・ホワイトが主役であり、彼の賢明な調査によりようやく発覚した事実である。
これは果たして「演出不足」なのか、或いはこれもまた「スコセッシの狙い」なのか………
もし後者の可能性で考えるのならば、これは「”自然に入り込んできた”という恐怖感」の為かなぁと思ったり。
現にこの殺人事件はオセージ郡の領域に平然と白人たちが入り込んできて起きてしまったものであり、その先触れに気づかなかった人は決して多くはないはずだ。
知らず知らずのうちに、人のドス黒い「欲望」がすぐ近くまで忍び寄ってきている………そんな得体の知れない「恐怖」を観客にも体感させるべく取り入れた演出だと考えられる。
今作、何よりも「人間の飽くなき欲望」にむせ返る一本だなぁと痛感。人によってはこの3時間は若干キツいかも?
まとめ(あとがき)
リアルでのゴタゴタも若干片付いてきたので、ブログも精力的に書いてゆきたい所存。まずは失いつつあったペースを取り戻さねば。
今作は意外とスラスラ書けたので、できればこのペースを維持していきたい。
………さて、今作『キラーズ〜』が公開されたのは10/20。今秋を代表する超大作であることに違いないのだが、同公開日にもう一つのビッグタイトルが公開されていることを忘れてはならない。
そう、ギャレス・エドワーズ監督作品『ザ・クリエイター/創造者』である。「人類とAIの共存」という、昔ながらではあるが現代的なテーマを主軸に添えたSF超大作だ。
ビッグタイトル2作品が同公開日に並ぶ、というのはいつぞやの『ザ・フラッシュ』と『〜アクロス・ザ・スパイダーバース』を思い出す。
という訳で、そんなデカい作品を逃すわけにもいかないので早急に手をつけねばなと。
近いうちに『ゴジラ-1.0』も公開されちゃう。マジで急がないと………まぁまた遅れることになりそうだけど。
と、いうわけで今回はこの辺で。
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それではまた、次の映画にて。